他人から認められたい私たち
特別な存在になりたい
周囲に一目置かれたい
自分自身の人生のはずなのに、「他人からどう思われているか」を気にすることがなぜ辞められないのでしょうか?
過剰に他人の目を気にするあまり、自分が本当はどうありたいのか、どんな状態に安らぎと幸せを感じるのかを忘れてしまってはいないでしょうか。
私の場合、他人から認められることは、「私はここにいていいんだ」という安心感になります。
つまり、他人に認められなければ「私は存在価値が無い」ということになります。
なぜ、他人に認められなければ「私はここにいていいんだ」と思えないのでしょうか。
この思い込みはどこからきたのでしょうか。
この思い込みを手放すことができれば、私はもっと自分や周囲の人々を幸せにするために毎日を楽しめると思うのです。
これは、思い込みを手放し、本来の自分を取り戻すための私の取り組みです。
皆様もぜひご自身の体験に当てはめてみてください。
日常で受ける様々な影響
他人から認められる=「私はここにいていいんだ」
他人から認められない=「私は存在価値が無い」
この思い込みを手放せない私たちは、日常生活で様々な影響を受けることになります。
例えば、他人に認められなかったとき、強烈な自己否定に襲われます。
呼吸が浅くなり、みぞおちの辺りがキュッと締め付けられ、冷静な思考はできなくなります。
思い込みを手放せない理由を探る為に、日常で自己否定に襲われるシチュエーションを思い出してみましょう。
以下は私の場合です。
指摘を受けたとき
仕事で失敗をして指摘を受けたとき
家族や友人にちょっとした指摘を受けたとき
行動の指摘を受けただけでも、自分自身を否定されたと捉えて過剰に傷ついてしまいます。
善意を断られたとき
例えば、お菓子をお裾分けしようとして「いらない」と言われた時、胸がチクリと痛む。
相手からすれば、たまたま気分じゃなかった、好みじゃなかっただけであり、深い意味はありません。
しかし、自分が「いらない」「価値がない」と言われてしまったかのような、歪んだ解釈をしてしまうことがあります。
集団で孤立したとき
社会人になると、学生のように常に誰かと一緒に行動をしていなくても何も思われません。
故に、普段はさほど気にならないのですが、例えば会社の行事となるとどうでしょう。
話し相手がおらず見事に孤立します。皆楽しそうに会話を楽しんでいるのに私だけひとり。
恥ずかしい。
「私はつまらなくて魅力の無い人間なんだ」と言う考えで頭がいっぱいになります。
自ら話しかけて会話を楽しむこともせず、周囲からどう思われているかが気になって仕方がありません。
思いつく3つのケースを挙げてみました。どれも共通して
「無能なヤツだと思われるのが恐い」
「役に立たないと思われるのが恐い」
「存在価値がないと思われるのが恐い」
このような思いがあることが分かります。
「他人によく思われる=自分の価値」この認識は、自分の本来の幸せを感じるセンサーを壊してしまいます。
失敗を過剰に恐れ、やってみたいことに挑戦することさえ億劫になります。
目の前のことを楽しむことよりも、傷つかないようにすることを優先しようとします。
幼少期の出来事を思い出す
続いて、「自分には存在価値がない」と確信したきっかけを探ります。
私たちの傷やトラウマは、幼少期の出来事からきていることがあります。
親や社会との関わりの中で傷ついた自分を見つけてあげましょう。
具体的な出来事、それを体験したことでどのような思考の癖がついたのかを書き出してみます。
※強いトラウマや心の傷は精神科医、臨床心理士などの専門家を頼ることが大切です。ここでは、自分でもできる簡易的なセルフカウンセリングを行います。
父親が帰宅するタイミングで、家族の誰かがお風呂に入っていると、不機嫌になり家庭の空気が悪くなった(父親は帰宅してすぐにお風呂に入りたいため)
・不機嫌な人をみると自分に関係なくても居心地の悪さを感じる
小学校高学年くらいの頃、買ってもらったものを乱雑に扱っていたら父親に怒鳴られた(行動を叱るというよりは感情をぶつけるように)
・叱られる=恐怖、危険と結びつく
・怒られることに対して異常なまでに恐怖を感じる
・怒られないように先回りしすぎる(回避行動を過剰にとる)
保育園に行きたくないとわがままを言ったら母親に泣かれた
・困らせると愛されない
・失敗や立ち止まる事は許されない
・人に迷惑を掛けたら愛されない
母親が、ママ友に私の愚痴を言っているのを聞いてしまった(私が毎朝学校に行くのを嫌がるので、「めんどくさくて迷惑」というようなことを言っていた)
・めんどうを掛けると嫌われる
・自分の味方はいない
小学校低学年の頃、クラスメイトに「無口、暗い」と言われた
・自分はつまらなくて人に嫌われる存在
・何か面白いこと、すごいことをしないと人に認めてもらえない
小学校3.4年生くらいの頃、お弁当を一緒に食べる人がいないので、教室の自席で食べようとしたら、クラスメイトに「邪魔だから教室から出て行って欲しい」と言われて外で食べた
・自分は邪魔で無価値な存在
・存在を否定される
小学校1〜3年生くらいの頃、同級生に「他の子と遊ぶなんて酷い」と行動を制限された
・自分の意思で行動すると責められる
・やりたいことをやると否定される
傷を隠す手を放す
今思えば、どれも思い悩む必要のない些細な出来事かもしれません。
しかし、確かにその出来事は幼かった私の心を深く傷つけ、大人になった今でもその傷が痛まないように、広がらないように守り続けています。
その傷を隠す手をそっと放してあげる。
「もう大丈夫なんだよ」と自分に根気強く伝えてあげることが救いになると思うのです。
【自分への声かけの例】
父親が帰宅するタイミングで誰かがお風呂に入ってると、不機嫌になり家庭の空気が悪くなった
お父さんが不機嫌になるのはとても恐かったよね。分かるよ。
お父さんは家族のために一生懸命働いてくれていた。だから何も言えなかったよね。
この世で唯一、自分を無条件に愛してくれるはずの親から、邪魔者のように扱われてとても辛かったよね。
子供に自分のペースを乱されたくなかった親。
そんな親の邪魔をしないようにする事で愛されようとしてきた。
存在感を消すことで両親の望みに応えようとした。
今まで必死に守ってくれてありがとう。
でも私はもう大人になりました。
両親に養われる存在ではありません。
自分を押し殺して存在を消す必要はもうありません。
自分の好きなタイミングで好きなことをしても良いのです。
小学校低学年の頃、クラスメイトに「無口、暗い」と言われた
人前で人格を否定されることを言われてとても辛かったよね。分かるよ。
他人と関わると否定されて傷つく。だから人との関わりを避けることで私をを守ってくれていたんだね。
今まで守ってくれてありがとう。
でももうその思い込みは手放して大丈夫です。
貴方を傷つける人はもういません。
貴方は他人の無神経な言葉を受け取る必要はありません。
安心して心を開いて大丈夫なのです。
このように、私を守るために必死に頑張ってくれた自分に感謝する。
そして、もうその傷を隠す手を放してもいいことを根気よく伝えてあげる。
何度も声を掛けてあげる 。
何度も何度も繰り返すことで、「他人から認められない=存在価値がない」という思い込みを手放し、本来の自分を取り戻すことができると思うのです。
最後に
今回は、幼い頃に負った心の傷を自覚するために幼少期の出来事の一部を挙げましたが、私の両親はいたって普通の両親でした。
虐待を受けた経験もなく、衣食住も与えてもらっていました。
しかし、親から与えられる言語、非言語は私たちの人格形成に大きく関わることは間違いないでしょう。
私たちの両親も、自分の心の傷に無自覚なままで子を産み育てるため、傷が連鎖していくのは当然かもしれません。
そこで私たちが心の傷に気づき、自らで癒していくことで、優しさが連鎖していくと私は本気で信じています。
私はまだまだ自分を癒している途中です。
これからも、日常生活で感じる「無価値感」から目を逸らすことなく向き合っていきたいです。
皆様もぜひお試しください!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
むらまつ
※繰り返しになりますが、強いトラウマや心の傷は精神科医、臨床心理士などの専門家を頼ることが大切です。ここでは、自分でもできる簡易的なセルフカウンセリングを行いました。
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